Official blog

止まっても大丈夫――“期待に応えなきゃ”を手放すと体も心も軽くなる

Share on Facebook
LINEで送る

ChatGPT Image 2025年9月27日 10_35_54

 

ここ数ヶ月、PCとスマホに夢中で、気づけば右手の指がぷくっと。

 

コップを持つのも少し痛くて、「え、リウマチ?」って一瞬ひやっとした。

 

病院で検査をしてみたら、抗CCPは陰性、炎症もほぼなし。

 

結論はシンプル、使いすぎ。ほっとした。

面白かったのは、痛みそのものよりも、痛みが出てからの心の動き。
「期待に応えなきゃ」「休んだら忘れられるかも」——そんな小さな焦りが、

いつの間にか背中にのしかかってたんだなあって。

 

数字や反応が増えるほど、善意でやってることが“静かな圧”になること、あるよね。

 

 

でも、思い直した。外側は結果、内側が先。
先に安心、充足、感謝、呼吸の深さ。これを感じてから、必要な分だけ外へ出す。

 

応えるのは素敵だけど、中心軸には置かない。

 

中心に置くのは「今の自分が楽しめてるか?楽に息できているか?」。

 

それだけで、体の緊張がほどけて、言葉も優しくなる。

 

体は賢い。
右手をかばえば左手が、手を休めれば前腕が、足の中指が——少しずつサインをくれる。

 

どれも「止まっていいよ」の合図。

 

強い炎症でも病気でもないと分かったら、あとは静かに感じて、すこしずつ整えるだけ。

 

 

今日のルーティンは簡単にした。

 

湯上がりに手をあたためて、指をグーパー二十回。

 

肩をすくめてストン、呼吸は四秒吸って八秒吐く。

 

スマホは両手、PCはフェザータッチ。

 

SNSは“見せない日”をときどき作る。

 

公園の木に触れて「有難うございます」と一言。

 

これだけで、からだの内側がふっと静かになる。

 

 

痛みはだいぶ和らいだ。

 

腫れはもう少し時間がかかりそうだけど、焦らない。

 

二歩進んで一歩休む、うさぎの時もあればカメの時もあっていい。

 

忘れたくないのは順番で、何か身体に不調が起きたら

まず医療で土台を確認して(今回はそれで安心できた)、

そのうえで湧いてくる不安や恐れをちゃんと感じて、やさしく手放すこと。

 

 

止まれない時代に、止まる許可を自分に出す。

 
「止まっても大丈夫。忘れられても大丈夫。」

 

そうつぶやくと、胸の奥が広くなる。外側がどう動いても、内側の静けさはここにある。

 

そこから、また必要なだけ出ていけばいい。

 

今日も軽く、でも深く。

 
指先に感謝を込めて、ゆっくり続けます。