
ここ数ヶ月、PCとスマホに夢中で、気づけば右手の指がぷくっと。
コップを持つのも少し痛くて、「え、リウマチ?」って一瞬ひやっとした。
病院で検査をしてみたら、抗CCPは陰性、炎症もほぼなし。
結論はシンプル、使いすぎ。ほっとした。
面白かったのは、痛みそのものよりも、痛みが出てからの心の動き。
「期待に応えなきゃ」「休んだら忘れられるかも」——そんな小さな焦りが、
いつの間にか背中にのしかかってたんだなあって。
数字や反応が増えるほど、善意でやってることが“静かな圧”になること、あるよね。
でも、思い直した。外側は結果、内側が先。
先に安心、充足、感謝、呼吸の深さ。これを感じてから、必要な分だけ外へ出す。
応えるのは素敵だけど、中心軸には置かない。
中心に置くのは「今の自分が楽しめてるか?楽に息できているか?」。
それだけで、体の緊張がほどけて、言葉も優しくなる。
体は賢い。
右手をかばえば左手が、手を休めれば前腕が、足の中指が——少しずつサインをくれる。
どれも「止まっていいよ」の合図。
強い炎症でも病気でもないと分かったら、あとは静かに感じて、すこしずつ整えるだけ。
今日のルーティンは簡単にした。
湯上がりに手をあたためて、指をグーパー二十回。
肩をすくめてストン、呼吸は四秒吸って八秒吐く。
スマホは両手、PCはフェザータッチ。
SNSは“見せない日”をときどき作る。
公園の木に触れて「有難うございます」と一言。
これだけで、からだの内側がふっと静かになる。
痛みはだいぶ和らいだ。
腫れはもう少し時間がかかりそうだけど、焦らない。
二歩進んで一歩休む、うさぎの時もあればカメの時もあっていい。
忘れたくないのは順番で、何か身体に不調が起きたら
まず医療で土台を確認して(今回はそれで安心できた)、
そのうえで湧いてくる不安や恐れをちゃんと感じて、やさしく手放すこと。
止まれない時代に、止まる許可を自分に出す。
「止まっても大丈夫。忘れられても大丈夫。」
そうつぶやくと、胸の奥が広くなる。外側がどう動いても、内側の静けさはここにある。
そこから、また必要なだけ出ていけばいい。
今日も軽く、でも深く。
指先に感謝を込めて、ゆっくり続けます。